3年前の夏、近所のスーパーの駐車場で5匹の仔猫を見つけました。まだ目も開いていないのに飼い主や親猫は見当たらず皆ぐったりしていました。熱いコンクリートの上で力なく横たわる仔猫たち。そのまま自転車のカゴに乗せて家に連れて帰りました。 残念ながら1匹はその日のうちに亡くなってしまいました…。でも残りの子たちは元気に育ち、1匹は譲渡先が見つかり残り3匹はうちの子になりました。写真の猫はうちの子のひとりで「ゆず」と名付けました。拾った日の体重は150gでしたが今では6kgを超える立派なトラ猫です。 |
人通りの多い駐車場で保護しました。長い時間さまよっていたのか、痩せてあまり動けなくなっていました。家に連れて帰った時、スリスリは目を閉じて静かにゆっくりと、頭を私にスリスリしてきました。「助けてくれて有難う」という声が聞こえるようでした。フォスターファミリーとして沢山の子猫を預かった事がありますが、こんな経験は初めてでした。心が通じ合った子猫との別れは寂しいですが、猫は20年以上生きる場合もあり、子猫の寿命と同じだけ自分に生きられる年月が残されていない事を考え、里親を探すことにしました。 |
下半身不随の猫、カプはマンションのゴミ捨て場の溝にはまっていました。 一度は安楽死を勧められましたが、保護して2ヶ月頃、破水し、帝王切開で子どもを産みました。 動物病院の方や友人達に温かく見守られ、皆、元気いっぱいに育っています。 子どもたちの深夜の大暴れに影響されたのか、カプの足も少しずつ動くようになり、前足で布団を手繰り寄せてベッドに登るようになりました。 私は「もう二度と歩けない」と言われたこの子が、いつか子供たちと一緒に走り回るような日が来る気がしてならないのです。 |
工場裏に生まれたばかりの6匹の小さな命がありました。「生きて!生きて!」と願いましたが 2匹は助ける事が出来ませんでした。4匹の小さな命は 今 それぞれの里親さんのところで大事に育ててもらっています。小太郎はうちの子になりました。初めて小太郎に触れた時の あの柔らかな温もりをいつまでも忘れずにいたいです。 |
17年前、生野区の児童公園で二匹でにゃあにゃあ鳴いていました。二匹ともメスで保護した時は生後四週ほどでした。 長男のアレルギー問題、分譲マンション規約違反で一戸建てへの引っ越し、色々な問題を抱えながら、今年18才、おだやかな老後を二匹仲良く迎えています。 あとから家族になった文鳥とも仲良くしています。 |
神奈川県の江ノ島には、たくさんの地域猫がいます。この子もその中の一匹。小さな祠で陽射しを浴びながら、まるでお供え物のように寝ていました(^^) 神様が「仕方がないな~」と穏やかに見つめているようです。 猫たちは地域の皆さんや観光客からご飯をもらったり、ボランティアさんが去勢や避妊手術をしてくれたりと、人々に愛されて暮らしていますが…何年たっても猫が減らないのは、今でも捨てに来る人がいるのからなのでしょうか。 小さな島から出られず、島で一生を終える猫たちには、幸せに暮らしてほしいものです。 |
和歌山城内において1匹のメスの獲得をめぐって2匹のオスがにらみ合っていました。 ものすごい声で鳴き合ったかと思った次の瞬間お互いに後ろ足で立ち上がってまるでボクシングのリングで拳闘でもするようにお互いにパンチを出し合い一瞬で雌雄を決してしまいました。2本脚で立ち上がる2匹の猫を見たのは初めてで驚きました。 |
我が家の飼い猫チョコです。小学校の駐車場に捨てられていました。段ボールに入れられて,小さな隙間から外を窺っては,不安そうに鳴き叫んでいました。 今は先住猫のセピアと仲良く暮らしています。 |
夕方の近所で、兄猫が目やにをいっぱい溜めてニャーニャー鳴いてたのを夫が発見。体も痩せてて明日動物病院に連れてかなくては、と家に連れ帰る。翌日車を出そうとしたら、弟猫がこれまた目やにをいっぱい溜めた状態でいるのを発見し、夫が保護。兄弟で仲良く病院行き。 |
念願の一戸建てに引越し 小さな時からにゃんことの生活に憧れていた ので我が家に迎えることにしました。 地域ボランティアの方が、多頭飼い崩壊のおうちから 子猫だった”みーちゃん”を保護してくれていました。 そのおうちを訪ねて、この子とずっと一緒に いたい。そう思い引き取りました。 今は大切な家族の一員です |
保護団体ライフボートさんの譲渡会で出会った子です。 なかなかに食いしん坊な子です。 とくに缶詰は大好きです。 |